地域医療って「僻地に行くこと」じゃない。
三浦和裕[品川区医師会会長/FL]
【INTERVIEW しながわのラグビー人】
- 2025.11.01
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地域医療って「僻地に行くこと」じゃない。
三浦和裕[品川区医師会会長/FL]
【INTERVIEW しながわのラグビー人】三浦和裕[三浦医院院長・品川区医師会会長]
しながわに拠点を置きアクションを重ねるラグビーパーソンを紹介する不定期インタビュー。仕事ぶり、暮らしぶりに楕円球の薫りのする人がここにもいる。三浦さんは大病院で外科医として勤めた後、区内・不動前駅そばで医院を開くまちのお医者さんだ。大学で始めたラグビーには、地域医療で求められるものと通じることが多い(2025年10月)。
PROFILE
みうら・かずひろ/1976年生まれ/医師(専門は外科)/帝京大医学部卒、聖マリアンナ医科大学では外科医(消化器第一外科)を務め、2012年より三浦医院(不動前駅・徒歩1分https://www.miuraiin.jp/)院長。2025年6月より品川区医師会会長。ラグビーを始めたのは大学入学時。今も「東京ドクターズ」でプレーする。172cm、75kg。ポジションはSHとSO以外のすべて。屋久島とエリック・クラブトンを愛する、二児のパパ
町を歩くお医者さんは、不器用な現役タックラー
医師である三浦さんの一日は、川崎市から品川区内の医院へ通うウォーキングから始まる。
三浦医院があるのは目黒線の不動前駅、その二つ手前の西小山駅で降り、地上線路跡の遊歩道や路地を縫って職場に向かう。
インタビューの日は小雨もぱらつく中、三浦さんはゆっくり歩く。目は沿道の町並み、緑、人、虫、空を巡っていた。
――ラグビーを始めたのは大学に入ってから、ですね。強烈な勧誘に遭ったとか?
「いえ、自分からです。私、本…当に運動ができない子で。小さい頃に習い事でやった水泳もものすごく遅い。バタフライはいまだにできません。中高はスキー部でしたけど予選にもたどり着けない。ただ、足は速かった」
――足が速かったのは小さい頃からでしょう?
「いえいえ、高校の時、なぜか急に速くなって。もともと短距離も長距離も遅かった。走るのは好きじゃなかった」
――大学受験には3年かけたと聞きました。3浪の後、ラグビーに惹かれて4月から入部したのは、どうしてだったのでしょう
「シンプルに、やってみたかったんでしょうね。チームで何かをするのはずっと好きだったんです。小学校が小さな私学だったので、行事はみんな縦割りで競っていました。1年から6年まで、いろんな子が一緒になってやる楽しさは、知っていたかもしれません」
「正直、下心もありました。ラグビーって野球やサッカーと違って、競争率がそれほど高くないのでは、まして医学部なら…と」
「ポジションは、よくあるパターンでWTBからです。端っこにいてボールもめったに回ってこない。それで外から指示ばっかり出して、ボールが来るように…。『そんなに言うなら、やってみろ』と、CTBをやらされるようになりました」
――ひとつ、内側に移った。
「移らされた。うちのチームは人数が少なかったから、他のポジションもやらないと試合にならない。CTBでタックルはできることが分かって、楽しくなりました。その後はFL、HO…。社会人になってから東京ドクターでまたプレーするようになって、結局、SHとSO以外は全部経験しました」
「真っすぐしか走れない」選手
――始めてすぐ、タックルができるようになったのですか。
「私、まっすぐしか走れないんです。WTBからCTBに移って、はじめはディフェンスで抜かれ続けました。素人だから、周りを見ずに一人だけ飛び出してしまう。当然、簡単にかわされる。ただそれも、続けていると周りが合わせてくれるようになった。個人としては『いつ勝負するか』を判断するように」
――飛び出してOKの場面と、そうでない状況と!
「試合相手はもちろん、練習で味方にも嫌がられました。もともと私、体が硬いみたいです。あの、関節可動域が小さい方の固い、じゃなくて肩が硬い。骨ばっていて当たると痛いらしい。それでタックルは、いけるようになりました」
――「素人」で不器用で、身体が硬くてよくしゃべる。振り返れば、プレーを始めた時の「まっすぐ、全力で飛び出す」のをやめなかったのが大きかったですよね。
「? だって、それしかできなかったから」
――SHとSOは、どうしてやらなかったんです?
「ああ。私、左のスクリュー(スピンパス)ができないから」
――…なるほど…(笑)
ラグビー部では主務も務めた。本人は「口だけ。自分より人を動かす」などとはぐらかすが、誰より体を張れることを仲間が知っての配役だったろう。CTBから、しばらくしてFLに移ったという経歴は、三浦さんの「クレイジー」なタックラーぶりを物語る。
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医者を志したのは、浪人時代!?
――医者になろう!と思ったのはいつですか?
「大学浪人時代、です」
――えっ。医学部に行くために浪人しているのに?
「大学受験に2回失敗しているんです(笑)。医者という職業については、父が開業医だったので高校時代からなんとなく…は、あったのかもしれませんが、阿呆だったので、勉強を始めたのは現役で失敗してから。本当に腰が据わったのは2浪が決まってから。はじめは『俺には9時-5時の生活なんてできない。サラリーマンは務まらない』。だから家を継いで…という程度です」
――それが、結局は大病院で勤務することに。
「そうですよね。時代も今とは違うので、9時-5時どころではなかった。ま、思ったよりきつかったです(笑)。専門は外科です。大まかにいうと、お腹のがんです」
「浪人時代、当時の自分なりに、世の中の役に立つことがしたい、と思った結果が医者でした。ただ、本当に私はダメ人間で、浪人中も2年間は趣味の世界にハマって終わった。浪人の分際で学生のような生活でした。お金もかかるので、そちらの方でほぼ毎日バイトもするようになって」
――切り替えて、勉強しよう、と思えたのは。
「さすがにこのままでは、まずい…という危機感からでした」
きちんと診られる人に、確実につなぐ。
私、注意力散漫なんですと自分を揶揄する。確かに、医院までの二駅ぶんの道すがら、視線の先と話題はテンポよく変わった。
――多くのことに気が付くのは、医師としての適性、職能と合うところがあるのでは。
「あります。たとえば、患者さんが椅子に座ったところから診察するのは、難しいですね」
――患者さんが、身構えてしまっているから?
「入って来る様子でわかることがあるんです。たとえば、『カゼで誰々さん(患者)がいらっしゃいました』とスタッフに伝えられて、入ってくる時に腹を押さえていたら。その人は腹が、痛いんです。熱があったとしても。簡単に言うとそういうサインを見逃して診断すると、患者さんに遠回りをさせることになる。オンライン診療って、利便性も大きいのですが、規定の状態から始まるから、難しい。医者って、そういう人たちだと思います」
「診察のあと、にも感じることはあります。ふだん会計の時に、ジャラジャラって音をさせているおばあちゃんが、音もなくお金を払うようになったら。あれ、認知症のほう、大丈夫かなって心配になる。
以前はこまめに小銭を整えてくれていた人が、構わずお札で出すようになったのかも…という可能性を疑う」
――大きな病院でメスを執っていた若い時期から、まちのお医者さんへ。ギャップに苦しむことはなかったですか?
「医療面ではそんなに困らない。ずっと勉強してきたことですから。ただ、経営は新たに学ぶ必要がありました」
――こうして歩きながら、町の様子で感じることもありますか。
「医院に来る方たちは本当に多様です。そのバックグラウンドを実感します。五反田、目黒で働くサラリーマン、近年次々と建ち始めたタワマン(タワーマンション)に移って来た人たち…。昔ながらの町並みに住む人には、私の親父の時代に子どものころから通っていてという方もいる」
――町医者は専門以外の分野ももちろん診るのですよね。
「医学は面白い。勉強しても勉強しても、完全には追いつかない。町医者の立場だと扱う分野も広い。ラグビーと一緒です。練習しても練習しても、その先がありますね。相手が変わる、レベルが上がる、ルールも毎年変わる。院長になりたての頃は、『全部、自分で診なくては」というプレッシャーが強かった。いまは、『この人をきちんと診られる先生につなごう』という気持ちでいます。ハブですよね。一人ひとりが大事な患者さんなので、適材適所で治療に当たれるように。そうできる環境づくりには役立ちたい」
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地域医療は、診療室の外にある
朝の、鳥の声。不動前駅までの遊歩道を歩く。沿道には家屋が身を寄せ合って並ぶ。
「朝散歩は、いいんですよ」と三浦さん。
「たまーに患者さんに会えることがある。顔(表情)や仕草を見ながら、へえって思うことがある。患者さんとしては土曜しか来ない人が、ふだんはスーツ姿だったり。おじいちゃん、おばあちゃんとも会えたりします」
自分の健康と、電車の乗り降りしずらさを避けるために歩き始めたが、そのおかげで感じて、考えるようになったこともある。
「地域医療って、若い医者に人気があったりするんです。でも彼らがイメージしているのは人口過疎地の医療。ドラマや漫画の影響があるのかな。本来の地域医療は、イコール、僻地で医療に当たることではない」
三浦さんの目は、まちをつぶさに見つめている。
「品川には品川に求められている地域医療がある。地域の文化を踏まえなければそれはできないし、医療も文化の一部のはずです」
企業などから健康医療についての講演依頼があると、その練習に…と周りに声をかけ、近所の人に向けて同じテーマの話をすることがあるという。
「今後のとっかかりとして、そんなことをやっています。たとえば子どもたちに向けて健康の話をするのも医療です。ここで自分にできることをやりたい。医療は診察室の外にある」
品川区には子供や家庭、女性に関わりの深い企業も多く拠点を据えている。そんな連携の中でも役割を果たせないか、と考えている。
今もプレーを続けている三浦さんに、ラグビーで一番好きなところを聞いた。
「うーん。ラグビーをやっていた人、好きな人と、すぐに仲間になれること」
詰めのタックルではなかった。
「密かに面白いなと思うのは、アタックで人が抜けたら、その真後ろについていくこと」
「突破の瞬間って本当に鮮やかで、抜けた人がヒーローでしょう? 私、それはあんまりできないけれど(笑)。突破した人も、そのままトライまでは走り切れない。どこかで捕まる。それが次の人、また次の人…とつながった時がうれしい。みんなでプレーしている実感がある。だめだった時も、みんなで悔しさを味わう。それがいいな」
医師として、ラグビーマンとしても。できないことはたくさんある。できることをがんばる。地域がフィールド、文化というチーム。三浦さんは今朝も二駅前で電車を降りて歩きながら町を、人を見つめている。
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